『下妻物語』

(ネタバレます。未見の方は読まないでください。『木更津キャッツアイ』のバレも含みます。)
この映画は少女漫画の文法で作られています。モノローグの多用・場面展開の仕方・過去のエピソードの挿入方法・音の入れ方などテクニック面もそうだし、絵的にもそう。冒頭、桃子がすっ飛んでいくシーンなんか、お花のかわりにキャベツが背景を飾ってるし、レンズフィルタ使いまくりの画面は「感情系スクリーントーン」「効果系スクリーントーン」を彷彿とさせ、BABYのお洋服は見てるだけで楽しく華やかです。映画のシーンを切り取ってコマ割って、そのまま漫画にできそうです。

で、ローカルものでTBS配給というと『木更津キャッツアイ』という先例があるわけです。『木更津』は、馬鹿馬鹿しいお祭り騒ぎと死別までのカウントダウンを描いています。その第一回は瀕死のぶっさんがストレッチャーで運ばれるシーンから始まり、過去に戻ります。対する『下妻』はバイクで事故って跳ね飛ばされた桃子が宙を舞うシーンから、まるで走馬灯のように物語が始まります。
問題のこのシーン。2作品とも実はブラフであることが最終局面で明かされます。瀕死のぶっさんはこの時点では死なず、事故った桃子はターミネーターなみに不死身なので無問題です(但し、ぶっさんの死病はブラフではなく、その後しばらくして病没したことがナレーションでさらりと語られますが、物語中のぶっさんは現役感が強いです)。
さらに言えば『木更津』は少年漫画的、『下妻』は少女漫画的です。
 
さて、ここからはさらに個人的な印象になりますが、『木更津』が号泣しつつ笑える作品だったのに対し、『下妻』は「泣き」が入りません。なぜだろう、としばらく考えてみました。
「野球」という共通項があるキャッツにくらべ、「下妻」の桃子とイチゴには共通点がありません。しかし、この二人には「自分は自分」という共通ベースがあります。たとえば、あなたの連れがプリキュアのコスプレをして待ち合わせの場所に現れたら、ためらいなく街中を二人で歩けますか?桃子とイチゴはそれができます。連れの格好を恥ずかしがる様子はありません。それを「カタチにとらわれず、中身を見ている」ととるのは簡単です。けれどこの関係は「自分の世界は自分の世界」「他人の世界は他人の世界」という「やさしい不干渉」によって成り立っていると思います。彼女たちは互いの趣味を貶しあうようなことはしません。褒めることもありません。その不干渉の部分がこの物語をカラリとした仕上がりにしているのではないでしょうか。それを物足りないと感じる向きもあるでしょうが、私はとても理想的な関係であり物語であったと思います。
 
(ちなみに例にプリキュアを挙げたのは、たまたま野球の始球式で着ぐるみを見たからです。それ以外の理由はありません。なんか変わった格好だったので。)
 
ということでとっても面白かったです。桃子の不死身さがすごいです。頭突き・飛び蹴りを何発喰らおうが、バイクからすっとぼうが、土浦ナンバーの軽トラのフロントガラス突き破ろうが死にません。無敵です。マシンです。強化人間です。さいこー。パチンコ強いし。さらにヤンキーのイチゴがおかしいです。水野晴郎萌えかよ!頭悪いし。唾吐くし。美人だし。ジャージ天国に爆笑。ジャスコとか貴族の森とか下妻二高とか知ってる系ローカルネタばんばん入ってるのも楽しかった。年配のお客もフカキョンラバーもロリも男子もみんなわははと笑っててそういうのも楽しかった。ちなみに私が見た映画館ではエンドロールのクレジットにお客全員くぎづけでした。茨城だし。